インドシナ戦争の爪痕

Philippines→Thailand→Laosを経て、世界一周4カ国目!!

現在Hue, Vietnamにいます!!

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さて、リアルタイムでは現在ベトナムのヴィンからフエという街に移動してきました。

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※this is the route from Xiengkhouang to Hue.

ラオスからの陸路での国境越えはまぁそれはそれは大変でした。。

そのうち書きます。

 

今日はシェンクワーンの話です。

無事にシェンクワーンのポンサワンに到着した僕は、地球の歩き方に載っているドックーン・ゲストハウス」という所に泊まりました。

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※Dokkuhoune Guesthouse in Xiengkhouang.

ポンサワン市内のバンの到着するターミナルでは沢山の客引きが待ち構えています。

何人かに話を聞いたらその中の1人 (ヴォン)がタダで宿まで連れて行ってくれるというので、ヴォンにお願いし、ゲストハウスへ。

幸い部屋が空いていたのでそのままチェックイン。

 

まぁタダで送ってくれる裏には何かある訳ですよ。そうそう美味しい話なんて転がってませんよね。

彼はツアー会社をやっており、チェックインが終わると、シェンクワーンのツアーはどうだ?と勧誘してきました。

まぁそうなるよね〜と思いましたが、むしろ丁度良かった!

 

実は、ポンサワンを中心に少し離れた所に遺跡等が散らばっているので、元々ツアーに申し込む事にしていたのです。

という事で早速話を聞き、値段交渉。正直他の会社の話を聞いていないので相場がわかりませんでしたが、

当初の値段は$100。これはツアー参加者が1人の場合の値段。いやそりゃ高いよと言うと、直ぐに$80へ値下げ。

「君一人だし、最近客が減ってきているから値下げする」と。

Kipに換算すると640,000Kip(7,400円)です。

 

「要は$80が普通の値段なんでしょ?でもこれでも高いよ。もう少しディスカウントしてよ」

と少し交渉しましたが、ここからは値下げ出来ないとの一点張りだったので、僕が折れました。

ちなみにガイドを付けると+$30です。

 

ツアーは翌日の9時出発。

運転手はヴォン。最初に向かったのは「Plain of Jar, site 1 : ジャール平原のサイト1

ジャールというのはフランス語でを意味し、石棺説が有力だそうです。

サイトはいくつかありますが、一番大きいサイト1に行きました。

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※these are jars made of rock (sarcophaguses).

ここには石壷の遺跡だけでなく、アメリカ軍による空爆で出来たクレーターも見る事が出来ます。

ちょっと見にくいですが、手前の大きな凹みがクレーター。

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※crater made by the impact of a bomb dropped by the US Air Force.

アメリカ軍がラオスに大規模な空爆を行った事は既に書きましたが、当時使用した爆弾がCluster Bombクラスター爆弾」。

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※hundreds of Bombies. Laotian people have been threatened by these unexploded bombies.

これは人間の身長程のあるいはそれより遥かに大きな筒の中に、「Bombies : ボンビー」と呼ばれるこぶし程の大きさの爆弾が何百個も詰め込まれており、上空で筒が2つに割れ、拡散されて落ちてくるのです。

 

アメリカ軍はこのクラスター爆弾を大量に投下しました。

シェンクワーンは特に激戦地だったそうです。

70%〜80%は実際に爆発したそうですが、残りは不発弾として残り続けています。

この不発弾を完全に撤去するにはあと100年かかると言われています。

 

今でも毎年多くの犠牲者が出ており、特に子供達が遊んでいる時にたまたま見つけて知らずに手に取り、あるいは踏んでしまい爆発するといった事が起こっています。

 

このジャール平原ではクレーター意外にも、不発弾の撤去作業が行われた事を示すこんな物も見る事が出来ます。

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※this is a sign to show the safe area. we have to keep in the white side area.

歩道の両脇に点々とこれが設置されており、この間(白色側)を歩く様に指示されます。

白色の内側は撤去作業が完全に行われ安全である事を示していますが、その外側(黒色側)に出てしまうと、そこは表面だけ撤去作業が完了しているのみで、完全に安全であるとは言えない場所です。ヴォンにもここには入ってはダメだと説明を受けました。

 

もうこれは地雷と同じです。

でも、ジャール平原には油断しているとこんな地雷もあるので気をつけて。

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※you have to pay attention to this kind of land mine as well…..  just kidding.

はい、今日は冗談は控えめに。

 

次の目的地に向かう車中、サイト1のすぐ近くにヴォンの生まれた村があり、ここで育ったんだと教えてくれました。

現在40歳。戦争直後の生まれです。実家のすぐ近くにはクレーターがあり、今ではそこで魚を飼っていると言ってましたね。

 

他にもいろいろ行きましたが、もう1つだけ。

ここは当初のツアーのコースには含まれていませんでしたが、特別に連れて行ってくれた場所があります。

それが「モン族」の住む村です。

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※Hmong people’s village.

 

モン族というのはご存知でしょうか。

僕はここに来る前に勉強して初めて知りました。

モン族はラオスに限らず他の国にもいますが、中国ではミャオ族と言われ、昔から差別を受けてきた種族だそうです。

 

そしてラオスに住むモン族は戦時中、その一部がアメリカ側につき、ベトナム戦争に投入されました。

当時、北ベトナムを率いていたホーチミンは、南ベトナムに侵攻する為の軍事物資の補給路として「ホーチミン・ルート」を建設しました。

そのルートの大部分が今のラオス国内を通っていたことから、アメリカはこの補給路を断つ為にラオスのモン族を訓練し、戦闘に投入していった訳です。

 

ホーチミン・ルートに対しては、このモン族の投入と同時にアメリカ空軍による爆撃も行われました。

しかし、最終的にベトナムでもラオスでも共産主義側が勝利すると、ラオス国内ではアメリカ側についたモン族に対する弾圧が始まります。

この時一部のモン族はアメリカやタイ等、国外へ脱出した人達もいますが、ラオス国内に残され今も厳しい環境での生活を強いられている人達もいます。

その残されたモン族が暮らしているのがこのシェンクワーン県です。

 

なので以前、政府軍と武装勢力が断続的に戦闘をしていると言いましたが、この武装勢力は戦時中アメリカ側についたモン族を意味します。

直近では2012年6月頃にポンサワン市内でテロがあったという情報を見ました。

 

ヴォンに一応聞いてみたら、彼らがアメリカ側についたモン族だと言ってましたが、

僕の印象では恐らくアメリカに敵対した側のモン族の村だと思います。その村が特別過酷な環境で生活しているという様な印象は受けなかったので。

ちょっと真相はわかりませんね。

 

いずれにしろ、シェンクワーンではとても勉強になる経験が出来ました。

ポンサワンを始め、シェンクワーンでは危険を感じる事は全くありませんでしたが、

これから行かれる方、事前の情報収集はしっかりしてから行って下さいね。

 

ブログ村 世界一周

Ryosuke Oka

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