日本は差別の無い国か

Now I’m in:Arequipa, Peru 

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ペルーと言えば「フジモリ大統領」を覚えている方も多いかと思います。

フジモリ大統領は日系人初のペルー大統領として注目を集めた人物ですね。

1996年の「ペルー日本大使公邸襲撃事件」のニュースは今でも覚えてます。

 

そう、ペルーには日系人が多く住んでいます。そしてリマの一角に「Peruano Japones」と書かれた建物があります。「日本ペルー文化会館」があり「日本人移住史料館」が併設されています。

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中に入ると、日系人と思われる人がちらほらおり、日本語も聞こえてくる。

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これは日系人の方達が書いたのだろうか、あまりの上手さに驚いた。

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中には日本庭園もある。

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そして史料館。

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中のほとんどの資料は写真撮影が出来なかったので、写真はありません。

 

日本とペルーが外交関係を結んだのは1873年。

時の外務大臣・副島種臣がペルーと日秘修好通商航海条約を結びます。

これにより、ペルーが南米で最初に日本と国交を結んだ国となりました。

 

当時のペルーでは奴隷制を廃止した事により大規模農場での働き手が不足。一方の日本では人口増加・失業・貧困に苦しみ、より良い収入を求めて外国に出稼ぎに行く者が増加。

この需要と供給がマッチした事から日本で希望者を募り、19世紀の末からペルーへの移住が始まりました。

 

しかし実態は重労働・賃金不払い・マラリア等の風土病に苦しめられ、太平洋戦争が始まると親米派であったペルーでは日本人排斥運動も始まり、強制収容所に送られた日系人も数多くいました。

そんな厳しい環境の中にあっても祖国に帰らず、必死に生き抜いて現地社会に根付いた彼ら。

 

今年2014年は移住開始から115年目です。

 

南米の日系人で有名なのは、前述のフジモリ大統領以外に、サッカー解説でお馴染みのセルジオ越後や元日本代表の田中マルクス闘莉王でしょうか。

個人的に思う彼らの特徴は、日本に住む日本人以上に「自分が何者なのか」を強く意識しているという点。セルジオ越後の辛口なコメントも、闘莉王の日本代表での闘志あふれるプレーも、そんな意識の現れの様に感じます。

 

 

中南米に来ると、僕ら日本人は大抵「Chino:チーノ」と呼ばれる。

チーノとは元々「中国人」という意味なのだが、こっちの人にとっては顔の似ているアジア人は皆まとめてチーノなのだ。そして、それは差別的なニュアンスを含む事が多い。相手の言い方を見れば、それがどんなニュアンスで言っているのかは直ぐにわかる。

 

歩いていると、すれ違いざまに耳元でチーノと言われる事もあれば、道路を挟んだ向こうからデカい声でチーノ!と叫ばれる事もある。日本語で話していると皆でこちらを見、周囲にいる人達と「あれチーノだよ」とでも言わんばかりにコソコソと話が始まる。

例を挙げればキリが無いくらいチーノチーノチーノ。

 

もちろん、単純に東洋人をまとめてチーノと呼んでいるだけの人や、「どこから来たの?」と言ってくれる人など普通の人も沢山いる。

 

このチーノ、特にペルーに入ってからが多い。

他の国で、チーノって言われたっけ?というくらいに多くなった。

 

中国人が一体何をしたんだ?とかわいそうになってしまう程だが、一説には奴隷として連れて来られた中国人やアフリカ人、そして現地の先住民それぞれに、あいつらの方が下だと言い聞かせていた事が原因だとか。

ローマ帝国時代から続く、白人支配者によるいわゆる「分断統治」の考え方だ。

この考え方はアフリカ・インド・アジアなど世界中のあらゆる場所で使われている。

 

話をチーノに戻すと、僕はチーノと言われるたびに「俺は日本人だ!」と腹が立つ。

腹が立つとはお行儀よく言ったつもりだが、はっきり言ってムカつく。へらへら笑いながらチーノと言ってくる奴を見て心穏やかでいられる程、出来た人間ではない。

 

日本にいて、こんなにも蔑称を浴びせられた事は無い。

良い経験だと言えなくもないが、気分は悪い。

 

最初は、こいつら教養のかけらも無い途上国のバカだな、と思っていた。

あまりにもチーノチーノ言われすぎて、僕の心もだいぶ荒んでいた。

 

しかしある時、日本に住む外国人も同じ様な経験をしているのではないだろうか、と思った。

 

僕の友達の1人に、大学時代に仲良くなった「在日韓国人」がいる。

おじいちゃんの代で日本に移住し、両親は日本育ちで韓国語と日本語を喋れるが、友達はもう日本語しか話せない。日本で生まれ日本で育ち、韓国に行った事すら無い。しかし国籍は韓国。

仲良くなっても暫くはその事を話してくれなかった。僕も全く気がつかなかった。

 

はじめて打ち明けてくれたのは知り合って1年以上が経った時。

僕にとっては大した事ではなかったのだが、彼にとってそれはとても大きな事で、もしかしたらもう友達ではいられなくなるかもしれないとまで思ったそうだ。

小中高大と、日本人と同じ学校で同じ様に勉強をして来たが、小さい頃は在日韓国人というだけでいじめられた事もあり、それ以来、言うのをやめたそうだ。

 

日本には韓国人だけではなく、東南アジアや中国などのアジア人・アフリカ人・欧米人など沢山の外国人が住んでいて、その中にはこの友達の様に単に国籍が違うというだけで、日本人と同じ様に日本に根付いて生活している人も沢山いるだろう。

 

旅先ではチーノと言われ、日系人の苦労の一端を史料館で学んだ事で、今、僕は日本人の外国人に対する「目」がとても気になっている。

旅に出て、自分が常に「外国人」であるという環境にいて気付く事はたくさんある。

 

大学だけではなく、同じ職場で働いていたり、あるいは地域のコミュニティーに外国人が住んでいる事もあるだろう。そんな彼らに果たして日本人はどんな目を向けているのか。

日本は外国人からみてどの様な国なのか。

差別の無い国だと言い切れるのか。

 

出生率の劇的な回復が見込めない今、現在の経済規模を維持するには、かつてのペルーの様に日本もいずれは移民を受け入れるしか無いだろう。

そうなった時、希望を胸に日本へやってくる外国人を受け入れる度量が、今の日本人にはあるのだろうか。

 

日本ではあまり注目されない日系人の歴史から学ぶべき事は、たくさんある様に思う。

Ryosuke Oka

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