こんな日本人がいた事を知っていますか?

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記事は引き続き、リトアニアのカウナス。

今回はちょっと真面目な話になります。

 

杉原千畝(すぎはら・ちうね)」という日本人をご存知ですか?

僕が彼の事を初めて知ったのは数年前に観たテレビ番組だったと思います。内容はほとんど覚えてなくて「そういう人がいた」くらいしか覚えてなかったんですが、彼はこのカウナスの地で、多くのユダヤ人の命を救った日本人です。

 

 

先ずは当時の時代背景から。

彼はカウナスがまだリトアニアの首都だった1939年、在カウナス日本領事館に赴任します。

この年に何が起こったかは言わずと知れてますが、第二次世界大戦が始まった年です。

 

この頃、ドイツを率いていたのはナチスのヒトラー。

ナチスドイツは1939年にポーランドを併合します。当時ポーランドに住んでいたユダヤ人達は迫害を受け、リトアニアへと避難します。その後、1940年にソ連がリトアニアを併合。これに対しナチスドイツがリトアニア侵攻の準備を始めます。

そう、西からナチスがどんどん迫って来ている状況です。

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この状況下でユダヤ人達に残された唯一の方法は東に逃げる事でした。

しかしソ連は在カウナスの各国の大使館・領事館に閉鎖を求め、次々と閉鎖して行きます。その為ユダヤ人達はビザを取れず、逃げ道がどんどんと無くなっていきます。

そんな中、在カウナス・オランダ領事館の領事がオランダ領への入国を許可するビザの発行を認めます。しかしヨーロッパ本土のオランダは既にナチスに併合されています。当時残っていたオランダ領と言えば、南米のスリナム・カリブのキュラソー・東南アジアのインドネシアといった国々。

 

問題はここカウナスの地からどうやって行くか。

 

そこで彼らが考え出した手段が「シベリア鉄道に乗ってソ連を通過し、日本へ行く。そして日本から船で太平洋を渡ってオランダ領へ行く」というもの。

 

幸いにもソ連は第三国へのビザ取得を条件に、ソ連本土の通過ビザを発行するという態度を取っていました。

この頃、シベリア鉄道でソ連を通過して第三国に行くという事は、即ち日本に行くという事でした。

つまりオランダとソ連がビザの発行を認め、残った最後の1ピースが「日本ビザ」だったという訳です。

 

 

ここリトアニア・カウナスの地に「杉原記念館」という場所があります。

そこに行く事がカウナスに来た目的です。

 

路上には、案内板があります。

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こちらが杉原記念館。これが在カウナス日本領事館だった建物です。

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ある朝、杉原が目覚めると、この門の前に大勢のユダヤ人が集まっていました。

門には「命のヴィザ」と書かれています。

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どういう意味かは先に書いた背景から想像が付くかと思いますが、この地をナチスドイツが占領した場合、待っているのは迫害。彼らはそれがわかっていたから、ナチスが来る前に他国へと逃げようとしていたのです。

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館内に入ると、リトアニア人の館長さんが出迎えてくれます。そして先ず15分程のビデオを観ます。

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このビデオで大まかな当時の流れや杉原千畝がどんな事をしたのかがわります。ビデオは日本語です。

ビデオを見終わり、部屋が明るくなると、4カ国の国旗が目に飛び込んできました。

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左から、オランダ・イスラエル・日本・リトアニアです。

なぜこの4カ国なのかは、もうみなさんもおわかりかと思います。

念の為ですが、イスラエルというのはユダヤ人の国ですね。

 

元領事館だった建物なので、記念館自体はとても小さく、1時間程で十分です。

 

彼が利用していた机や仕事道具など。

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これが、彼が実際に発行したビザのレプリカ。

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ご覧の通り、全て手書きです。

当時、日本はドイツ・イタリアと三国軍事同盟を締結する直前でした。そんなドイツが迫害しているユダヤ人を助ける為のビザの発行を日本政府が許可する筈も無く、杉原が何度外務省に発行許可を求めても、帰ってくる答えは「否」。他方、リトアニアを占領しているソ連からは領事館の閉鎖を求められ、早急にカウナスを去らなければならない状況にありました。

彼は悩んだ末に、閉鎖をギリギリまで伸ばし、日本政府の許可も無く独断で日本ビザの発行を認めます。

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これは杉原が助けたユダヤ人のリスト。

手書きで3000枚以上のビザを発行し、それによって6000人以上のユダヤ人の命が救われました。

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当時は1つのビザで家族全員が移動出来たそうです。

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領事館を閉鎖した後、杉原自身もカウナスを脱出しなければならない状況だったにも関わらず、杉原の乗る電車のホームにまでユダヤ人が押し寄せてビザの発行を求めます。彼は列車に乗車してからもビザを書き続けます。列車が発車する直前まで1枚でも多く。

 

無事にビザを入手したユダヤ人達は、ソ連へ向かいシベリア鉄道に乗ってウラジオストクへと向かいます。

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そう、まさに僕がつい先日移動して来たルートを彼らは通っていた訳です。

自分の旅の経験がこういう所で繫がるとは思ってもいなかったので、これには本当に驚きました。

 

彼らはどんな思いであの電車に乗っていたんだろう。

自分が見て来たあの風景を、あの街を、彼らはどんな思いで移動して行ったんだろう。

しばらくそんな事を考えていました。

 

そして無事に日本に着いた彼らは、安全な他国へと旅立って行きます。

南米のスリナムを旅した時、首都のパラマリボでユダヤ教の宗教施設シナゴークを見つけたのは、こういう背景でユダヤ人があの地に住んでいたからなのかとここで初めて理解しました。

 

記念館にはこんなものもありました。

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日本地図に訪問者が国旗を立てています。

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今はもうやっていない様な感じでしたので、僕は立ててませんが、栃木はこんな感じ。

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ちょっと少ないね(笑) 全国に散らばる栃人(とちんちゅ)達よ!リトアニアに行こう!!

 

もちろん、杉原千畝自身に関する展示もあります。

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全く知りませんでしたが、彼は母校の大先輩でした。

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彼は多くのユダヤ人を救った事で、後にイスラエルから「諸国民の中の正義の人」という称号を贈られます。

ただ、ビザが貰えずに脱出出来なかった人や、ビザを得ても逃げ後れた人々が、その後どうなったかはご想像の通りです。強制収容所に送られ、何万というユダヤ人が虐殺されました。それを考えると、彼は出来る限りの事をした一方で、全てのユダヤ人を救えなかった苦しみを感じていたのではないかと思います。

 

最後に、ここでは当時使われていたスタンプが(レプリカだと思いますが)押せます。

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大日本帝国時代のスタンプは初めて見ました。記念にパスポートに押してきました。

 

ということで、今回はちょっと真面目な記事でした。

エクアドルのキトで訪問した野口英世学校同様、今回の杉原記念館訪問はとても充実したものでした。

本当に来てよかった。

 

こういう日本人がいた事やそれにまつわる歴史をどうして教科書に載せないのかな。

個人的には日本の歴史教育はまだまだダメだと思ってます。暗記偏重だしやってる内容が薄い気がする。

何年に何々がありました。あーそうですか。いいくにつくろう鎌倉幕府。

それで?1192年を覚える事がそんなに重要?

 

もちろんそういうミクロな話も大事なんだけど、それを体系化してマクロな視点で歴史を見れる様な教育って出来てるのかな。そういう視点を小さい頃から養えば、大人になってからの視野の広がりと共に世界の出来事がマクロな視点で見れる様になるんじゃないかと思うんだけど。

 

とか言ってる僕自身がそういう視点を持ってないのですが。。

ただ、今世界中を旅していて日々感じるのは、頭の中に世界地図が出来上がりつつあるという事。

今回の話で言えば、スリナムのシナゴークやユダヤ人達が利用したシベリア鉄道。

 

断片的だった様々な物が、新しい国に訪れることで少しずつ繫がっていき、それが複雑に絡み合って、だんだんと世界地図が出来上がってるイメージが頭の中にあります。この頭の中の世界地図に歴史を付け加えて行くと、世界の流れが見えて来て、そうすると「今」世界で起きてる事が少しずつ見えてくる様になります。

これは本当に大変な作業で、膨大で、多分「完成」というのは無いんでしょうけど、自分の時間とお金の許す限りこれからも世界を見て来ようと改めて思いました。

 

個人的には、これからの子供達にはこういう教育をしてあげたい。

鎌倉幕府が出来たのは何年ですか?なんて、今の小学生がスマホで1秒でネット検索出来る時代にそんな事を暗記させてテストで空欄にしてまで書かせるなんてナンセンスでしょ。まぁこれはあくまで分かりやすい例えの話なんですが。

 

なにはともあれ、きっとまだまだ歴史の中に埋もれた偉大な日本人というのはいるんでしょうね。

他にはどんな人がいるんだろうか。

 

Ryosuke Oka

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